ランニングフォーム
ランニングには、全ての人に当てはまる絶対的なフォームというものはありません。人それぞれ体型や体格が違うので、その人にあったフォームというのがあります。
しかし、効率良く走る為の理想のフォームというものはあるので、初級者はまずその基本形をを身に着け、色々試しながら自分に合ったフォームを見つけることが良いでしょう。
・背筋を伸ばす
頭から足までが一直線
重心の真下に着地させる
上半身を胸から前に倒す感じで、それに脚を合わせてゆく
・骨盤を前に倒し、腰を高い位置に保ち、視線は5m~10m先を見る
・腕振りは肩甲骨を後ろに引くことを意識する
肩甲骨を回転させることにより骨盤を回転させる
肩の力は抜き肘を後ろに引く
・へその下(丹田)に重心を置き、そこから前に進むイメージ
脚を前に出すのではなく、骨盤を回転させて脚の付け根を前後に振るイメージ
丹田に引っ張られているイメージ
坂道を下る
・腹筋や大殿筋など体幹の大きい筋肉を使うことを意識する
上半身をキープするだけの上半身、体幹の筋力をつけることも大切
・上下動を少なくする
・自分になったストライドとピッチ
・呼吸は吐くことを意識する
「すぅ~すぅ~、はぁ~はぁ~」と2回吐いて2回吸う
2回に区切って呼吸するわけではなく、吐き続けながら更に吐く感じです。
肺にある出し切らないと新しい酸素を吸えないのですべて出し尽くすイメージです。
走法
・ストライド走法 = スピードを出すのに有効
・ピッチ走法 = 体力や足絵のダメージを軽減し省エネに有効
着地
・フォアフット(つま先着地
つま先から接地するほうが踵から接地する場合に比べて膝から下の筋肉へのダメージが少ないです。
接地時間が短くなります。筋肉へのダメージが少なくなる
・ヒールストライク(かかと着地
多くのランナーの方がヒールストライクで走っていると言っていいでしょう。
地面からの衝撃(地面反力)を利用しながら、前への推進力を得て走る方法です。
なので、地面反力に耐えうる筋力が必要になります。
・ミッドフット(足裏全体着地
ふくらはぎの筋肉など小さな筋肉ではなく、お尻の筋肉を使って走ることができます。足の裏全体で衝撃を吸収することができるのも特徴です。
また、ランニング中の上下動が少なくなるので、エネルギーロスが少なくなります。
スムーズな平行移動ができるということです。
理想のフォームに近い形でランニング出来れば良いのですが、フォームを矯正するには、かなりの努力と時間が必要です。フォーム矯正する時は、歩行時か、ゆっくりしたランニング時に理想のフォームを意識しましょう。まずは歩きから。
さて、ストライド走法、ピッチ走法どちらが良いかですが、走り方を練習の中で見つけて下さい。ストライド走法は、脚筋力を使うので筋力がなければ長い時間ストライドを保つことが出来ません。従って、筋力の弱い初心者はピッチ走法がオススメです。
クロストレーニング
毎日のランニングに飽きたら、サイクリング、水泳、山登り、スキーなど、他のスポーツに取り組んでみてはいかがでしょう。気分転換効果があるだけでなく、さまざまな筋肉が使われることで全身のバランスが整い、故障に強い身体を作ることも可能です。
習慣を変える
習慣で人生も変わる
心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。
ヒンズー教やウィリアムジェームスの言葉として紹介されることの多いこの格言。
この中で取り上げられている習慣ですが、私もランニングを習慣にすることで、この格言が本当であることを実感しています。
習慣とは、ある時点で意図的につくり、やがて何も考えなくても毎日、何度も行うようになるもののこと。
この習慣を分解すると…
きっかけ
↓
ルーチン
↓
報酬
の3要素からできていて、脳がその報酬を求めることでループして定着します。
悪い習慣の例、タバコの場合
きっかけ:退屈やストレスから気晴らししたくなる
ルーチン:タバコを吸う
報酬:スッキリし気分が落ち着く
となります。
良い習慣の例、ランニングの場合
きっかけ:運動不足解消のため走ってみようと思う
ルーチン:ランニングする
報酬:体を動かすことで気分が良くなり、自信もつく
となります。
いずれの場合も3要素が揃っていることに加え、脳がその報酬を欲求するようになって初めて習慣が定着します。
つまり、頭でこれはいいと思った報酬でも、脳がそれを欲求しなければ習慣化はされないということです。では、習慣を作ったり変えたりするにはどうすればよいのでしょうか?
習慣を作る、習慣を変えるには
習慣を始める場合は、報酬が適切で脳が欲求するものであれば定着させることができます。
ランニングであれば、走ること自体が楽しくてそれを脳が欲求するようになれば定着は簡単です。しかし報酬がやせることであるなら、毎回やせることはないので、定着しにくくなります。
悪い習慣の場合は、既にある習慣の要素のうち、きっかけと報酬はそのままで、ルーチンのみを変えます。
例えばタバコの場合は、気晴らしがほしくなったらタバコを吸うのではなく、お茶を飲んだりガムを噛んだりする、などルーチンを別のものに置き換えることを繰り返します。
習慣が途切れる瞬間
一度変えることができた習慣も、大きなストレスがかかると、元に戻ってしまうことがあります。
習慣を本当に定着させるには、自分が変われると信じることが重要なのですが、大きなストレスがかかると、この信じることが揺らいでしまいます。
これを避けるためには、他人の力が有効です。
どこかのグループに入ってもいいし、友人に宣言するのもよいでしょう。
相談して解決法を聞いたり、宣言しているからカッコ悪くて戻せないと思ったり、他人の力が習慣を元に戻すブレーキになってくれるのです。
習慣は連鎖する
こうして定着する習慣ですが、そのような習慣の中には、小さくてもそれを習慣化することにより、他の習慣も連鎖して変えていけるようなカギとなるものがあります。
ランニングが習慣になる
↓
食事に気を配るようになる
↓
自己管理に自信を持つ
↓
他にも色々挑戦してみようとポジティブになる
↓
色んな場に出て行き人間関係が広がる
節約術
買う前に、ワンクッション置く
何日か考える 優先度の確認
浪費か消費か投資か
新しいものを買う代わりに、同じ用途の捨てるものを用意する
ヤフオク、メルカリなどのオークション活用
ディスカウントショップ、ファストファッション、100円ショップ、セール品などは諸刃の剣
上手く使えば有効だが、不必要な消費が増える可能性も
衝動買いの感覚が薄まる
行く前に購入するものを決めて行く
僕のトレーニングの目的
何の為にトレーニングするか改めて目的を考えてみた。
人生の目的とは?
生きてる間に獲得したいものは?
僕が最もエキサイトする瞬間は?
それは「自由」
自由を得る為には、
金や名声や女や物や己への執着心と、恐怖や嫉妬の感情から脱却すること。そして自然の中で生きて行ける野生的身体能力を手に入れる必要があり(古来の僧侶の修行は正にだなぁ)、果てしなく遠い道のりだけど、出来ることをコツコツやってみよういうことでᕦ(ò_óˇ)ᕤ
ちばアクアラインマラソン
昨日は「ちばアクアラインマラソン」でした。
◆予想タイムを4時間で申告していたため、後ろ寄りのグループからスタート。そのため暫くは渋滞で、キロ6分以下のスピードしか出せず、隙間を縫って前へ前へ。
3、4kmあたりで、キロ5分で走れる位置まで来ます。サブ3.5を狙うサークル仲間のR氏とも合流。
過去のレースと違って今日は自分の走りだけに集中し、周りの状況は頭に入って来ません。
ペースもあまり気にならず、そもそもランニングウォッチは持ってないので大雑把に速度を維持。時折並走するR氏がキロ5分ペースだと教えてくれます。
その後もランナーの間を縫ってゆく作業が面倒臭いものの、次々と抜かしているという感覚は精神的には楽ではあります。
◆9km過ぎから突入したアクアラインの高速道路はやはり爽快!どんどん走りの調子が上がっていきます。これが目当てでエントリーしたのですが、正味10km程度しかないのは残念。
今日も膝は鉛が埋め込まれたような鈍痛で、時折痛みが軽くなったり重くなったりを繰り返します。ポケットに入れていた痛み止めの薬は何処かに落としてしまったため、それには頼れず。この鈍痛が鋭い痛みにならないよう祈るばかり。
腕と脚を交互に動かす機械に徹し、なるべく感情を無にします。
◆25km過ぎたあたりから疲労があらわれペースダウン。
それ以上速度を落とないように気合いを入れると自然と声が出ます。テニスプレイヤーのように、唸り声とともに力を絞り出して走るとその効果大で、フォームは乱れまくっても再びスピードが蘇ります。痛みも声と共に飛ばせます。
街中になってから、海上のアクアラインの爽快さはない代わりに、沿道の熱い声援がモチベーションとなります。自分に向けられていると感じると苦しさを持ち堪えられます。特に子供達とのハイタッチでは速度は1割り増しに。
◆32キロ地点、ここまでよくキロ5分を維持出来たなぁと。やはりレースというのは、普段ありえない力が出るもんです。
今年の目標だった柴又100k完走、ハセツネ完走、トライアスロンOD20分短縮などを達成出来た自信が後ろ盾となっています。
あと10キロちょっと…
しかし既に満身創痍で、膝のダメージだけでなく心肺も苦しい。フォームはグチャグチャ。
得意意識を持つ坂道も、もはや行く手を阻む障害でしかなく、速度を上げられるはずの下りも膝への拷問。ここから坂道が何度も現れます。先程のように唸り声を出したいところですが、その余力がない…
もうマラソンはこりごりだ、もう気が済んだよ( ;´Д`)
◆残り3キロ。踏ん張れば3時間40分でゴール出来そう。心臓が千切れそうですが、「ここは戦場」だと思い全力で駆け抜けます。真っ白な灰になる寸前。
遂にフィニッシュして倒れ込む。3時間39分。
今年の最後の目標、「フルマラソン4時間を切る」も達成。
一度脚を止めたら膝は曲がらず、歩くのも困難な状態に。帰りの駅までの歩行がまた一仕事でした。
◆僕のシューズは、サブ4を目指す以前の完走を目指すランナー向けですが、シューズの特性とタイムはやはり関係なかったようです。
でも軽いシューズも履いてみたいと思う今日この頃。
日本山岳耐久レース ハセツネCUP
週末は「日本山岳耐久レース」でした。
◆このレースの存在を知った時は最も過酷なレースという認識で、それゆえいつか挑戦してみたいと夢みていました。実はもっと過酷なレースが色々あると後で知りますが、とにかく71kmも山の中をしかも夜通し走るなんて尋常じゃない…と。
そして変形性膝関節症の自分にとってモルヒネやヒロポン必須の地獄の痛みが待ってるだろうと。
今年はこの日の完走の為に日々我慢してロードワークを積みました。
6月には100kmマラソンの完走で、多少の手応えも掴みました。
しかし前々日に今年一番の膝痛が発生し暗雲が立ち込めます。
◆当日、13時スタート。
夜間走を心待ちにしながら前半は黙々と山を登ります。
レースというのは沢山の参加者に囲まれているため、一人でのトレーニングと比べ精神的にはとても楽です。夜の山だからといって、暗闇に一人っきりというシチュエーションはそれほどありません。
常に前後に人の灯り、気配を感じます。列をなした時などは、連なる光がまるでお祭りの提灯のように賑やかです。
その為ライトの届かない暗闇の向こうに、あたかもキャンプ場のバンガローや自販機が立ち並んでいるかのような錯覚にすら陥ります。
一人で夜の山を走った時は、闇の向こうに得体の知れない不審者、熊や猪、霊がいるように感じて仕方なかったのですから、人間の知覚というのは如何に精神や感情に左右されるかということです。
◆このレースは補給食の提供はなく全て持参で走ります。給水も中間点で1.5Lだけしか貰えません。(その後、自然の水場はありますが)
それゆえ緊張感をもたらします。
そもそもトレイルランの、野生的、サバイバル要素、冒険要素、といった魅力がマラソンやトライアスロンにない、より自分の気質にマッチしている点ですが、逆に膝が悪いという点では体質的に最も合わない競技とも言えます。
◆ところで、自分は現代社会の通念しか知りません。
戦争が社会の常識だったのはほんの2、3世代前。暴力や死は身近でした。
今は史上かつてない過保護管理社会。
死が遠のく代わりに(錯覚ですが)食べる事が健康を害し、楽な生活習慣が身体を蝕むという。
暴力が遠のいたところで、セクハラパワハラモラハラなど言葉の暴力という観念が生まれ、人間の精神は弱体化しているという。
人生がより自由に選択出来る分、離婚、片親、都市型貧困が溢れる、守るべき優先順位への疑問。
情報にまみれ、体験する前から頭で知ってしまうがゆえに、体得体験が気薄な時代。
医学的常識も数年後にはひっくり返る目まぐるしさ。
無論この時代の価値観や常識や法を信じていませんが、平穏に社会生活を営みたいので面従腹背、というか過激思想は奥にしまっておきます。
本当は武士における切腹の精神、軍隊式体罰、日本陸軍的な精神主義、目には目をの刑罰制度など、現代社会で悪とされる価値観、過酷な世界を生き抜くための暴力的な強い精神鍛錬に美を感じます。
そういう社会が良いという提案ではなく、一瞬一瞬生きるという事に強い執着を持てる環境への憧れであり、日々不完全燃焼でくすぶっている自分への嘆きに過ぎません。
そんなゴタクを並べる自分がどんだけ過酷さに耐えられるのかと、それを少しでも試したいという動機で過酷なレースを求めるので、決してスポーツを求めてはいません。科学的トレーニングや理論的レース戦術、タイムレコードなどは二の次です。
レース中嘔吐してる人、疲れ果て森の中でうずくまっている人などを目撃し、過保護管理社会の日常とかけはなれたシチュエーションに心踊ります。
そして苦痛は自分にも訪れます。
◆ようやく40kmの水分補給地点に到達。ここまでひたすら登山登山…ランニングじゃなく「登山」。同じ40kmでも今まで経験したレースとは疲労が全然違います。レースによっては6時間くらいで済む距離だとタカをくくっていましたが、10時間半もかかっているのはひたすら登りのせい。
燃料補給や寒さと小雨対策の上着着用などで20分くらい休憩しました。
さぁ残り30km!と再出発した途端、膝の痛みが来ます。長い休憩のせいで足が固まってしまったのです。全く坂を下りることが出来ません。
本来なら飛ばせそうな、道幅の広いフラット急斜面をヨチヨチ歩きで進む自分と、後ろから颯爽と下りてくる選手達のギャップ。劣等感に包まれ気持ちが萎えます。
まだ全行程の半分強。しかもこれからは下りメインで重力衝撃の連続。走り切れる気がしません。
リタイアを望む心の声…
しかしです、こんな辛いレースもう二度と出ない!と思ったとしても、今回完走出来なければ、必ずリベンジしなくては気が済まないことは目に見えています。
残り全部歩いたって制限時間的には恐らく間に合うはず。可能性が断たれていないのに自分から逃げるという選択はありません。
◆幸いその後、登りで脚が温まったからか、飲み薬が効いたからか、膝の状態は回復しました。
最後の大物、大岳山の急斜面をよじ登ります。
今日一番集中出来て楽しかったのはここから御岳山までの下りのランだったかも知れません。
先程の膝痛が嘘のように、斜面を駆け下りることが出来ます。
選手達の列に混じり引いてもらったり、自分が先頭で引いたり、劣等感のないひと時です。更に調子が出て集団を引き離し独走しました。
◆子供達とハイキングに訪れたことのある御岳山の参道に着きホットします。残り約15km、2時間以内にはゴール出来るだろうと終わりを感じたその直後、谷底に引きずり落とされました。
再度襲って来た膝痛は、もう薬を飲んでも遂に消えることはありませんでした。
木の枝を杖がわりにして進みます。
下りは膝への衝撃を避けるために後ろ向きで歩きます。
階段2段分程度の高さを降りるのに2、3秒かかります。
何人も何人も後ろから颯爽と抜いて行きます。100人くらいは。狭い山道、なるべく邪魔にならないよう道をあけることに気を使い続けます。
そして「大丈夫ですか?」「ナイスファイト」「あとちょっとでゴールです!」と励ましの声をかけられます。
ただ、その「後ちょっと」が…ちょっとじゃなくて果てしないのです…
1キロ進むのに20分もかかり少しもゴールに近づきません。下りなのに。
でも慣れてはいるので気持ちは冷静です。去年、30数キロのレースでも同じ経験をしました。
◆もはや何も考えず、ひたすら杖を付き歩く作業に徹します。その果てにいつか必ず終点が訪れる事は分かっているので機械となります。
つい2、3世代前までは日常だった戦争。
自分が戦場に身を置く場面を考えるだけで恐怖で逃げ出したくなりますが、しかしその様な極限における状態は今の自分のような意識朦朧として何も考えない状態、恐怖だの苦しみだのに鈍感になった状態、その延長上にふと自覚もなく死んでしまっているのではないか。想像してる程、恐怖も苦痛も感じずあっけなく。
そして死の瞬間において、自分の志を歩いているという自負のみが恐怖からの脱却の術だろうと。
多勢でいる時は暗闇の中に小屋や自販機などの安心出来る存在を感じ、一人でいる時には闇の中に得体の知れない生物など恐怖の像を感じたのと同様に、死の恐怖というのも自己の精神が肥大化させているのではないかと。
ゆえに自分の精神をコントロールし、己で己を始末する切腹は強い。
とにかく、いつしかゴールは訪れました。
◆ 未知の領域に踏み込む時の綱渡りはいつだって同じです。去年の15kmの初トレイルランも、今回の71kmのトレイルランも変わりません。
1年半前のハーフマラソンも同じく完走は未知の世界で、脚を引きずりながらビリから10番でゴールしました。
まだランニングを始める2年半前は日常生活で足を引きずっていましたから、そんな脚で走るなんてやめた方がいいという提言も受けました。
状態が悪化して最悪義足になっても後悔はないと思っていましたから、苦言を聞かず続けました。これから残りの人生死ぬまで走ることもマラソンを経験することもないという、もう一方の選択肢を考えれば、義足の選択も特別ではありません。
現実には更に悪化もしました。特にトレイルランでは、悪かった左だけでなく右膝まで痛めました。
ただ、成果というのは、日単位、月単位ではわからないもので、年単位で考えると確実に改善しているのがわかります。
日常生活で足を引きずっていた自分がマラソンを走れるようになり、100kmマラソンや71kmの山岳マラソンを完走出来た事実を持って。
その晩は随分唸り声を出してうるさがられましたが、1日経ったら回復していつもの状態になっているのには驚いています。
医学や常識や溢れる情報を信じません。精神主義が性に合います。
明日からまた走って治しますo(^_^)o